旧友との再会は、新しい関係の始まり

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新しい関係の始まり

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夢みたものは今 ―団塊世代のアイコン―

「クラス仲間は いつまでも」。舟木一夫が歌う「高校三年生」が大ヒットしたのは一九六三年だった―。
☆ ☆ ☆
からりと晴れた空、心地よい風が吹き抜ける。五月五日、こどもの日の午後、北九州市小倉北区の市立思永中学校に、十一人の男女が集まった。
六五年に思永中学校を卒業した十人と、当時三年二組の担任教諭だった小野照子(七六)だ。
「おーっ、懐かしいねえ、黒板は昔と同じやない」「机は変わっとるよ」「ここに五十六人も入っとたんやけ、本当にすし詰めやったんやね」
四十一年ぶりの教室。思い出がいっぱいだ。授業を抜け出そうとして先生に見つかり殴られたこと、あこがれのクラスメート…。
この会を呼び掛けたのは、松下千尋(五六)だ。ひょうきんな持ち味で人気者だった彼が、同窓会の幹事をするようになって、十年以上がたつ。
九三年の正月、JR小倉駅前のホテルで開いた第一回の「大同窓会」には、卒業生七百七十九人のうち役百二十人、教諭も十人が参加した。
二000年にも八十人が参加する会を開き、それ以降も、市外に住む同窓生が故郷に戻ってくる機会などに、集まりを持っている。教室を舞台にしたのは今回が初めてだ。

倒産、お遍路に

松下は七年前、常務取締役だった港湾土木会社が倒産、失職した。その後、人材派遣会社に一年余り勤めて辞め、自ら始めた派遣会社もうまくいかなかった。今は学校法人の総務課長を一年契約で勤めている。
「派遣会社を辞め、心の整理をしようと四国にお遍路に行った。そのとき、鯖大師(さばだいし)というお寺の黒板に『過去を捨てざれ、未来を願わざれ』(過去を捨てるな、未来を願うな)と書いてあるのを見て、ショックを受けた。俺は過去を全部捨てて新しい人生を始めるために来たのに、逆やないかと。何日か、真意を考え続けた。それからやね、何かふっきれたのは」
苦しいときに、支えてくれたのが同級生たちだった。学校法人の就職の際にも、短大で教授をしている同窓生の大原信代(五七)が応援してくれた。
こうした同窓会的な人間関係が今後、ビジネスチャンスになるとみる動きもある。

同窓会代行業が登場

伊丹正人(四四)は、〇二年に株式会社「同窓会ネット」(本社・大阪市)をつくった。卒業した府立高校の同窓会で幹事をし「商売になると思った」のが、きっかけだ。「同窓会は、めんどくさい事が多い。時間と労力がえらくかかる。それを代行するわけです。」
幹事から予算と日程を聞いて会場を決め、名簿作りと案内状の発送、当日の受付・司会・記念写真撮影などを引き受ける。〇三年は二十二件だった仕事が、翌年は百十八件、昨年は二百十八件と急速に伸びた。地域も全国に広がり、東京オフィスも設立した。「お客さんは、大学生から八十歳まで。ほとんどが中学と高校の同窓会です。損得勘定なしに付き合える楽しい時代やったんですね。家庭に入った女性が外出しやすい機会。出席者の六割が女性です」

還暦プラン好評

伊丹が今後増えるとみているのが、団塊世代の同窓会だ。「これまで仕事一筋という人が多い。この世代の同窓会に立ち会うと、退職して肩書きがなくなったらどうすればいいんだろうという不安を、ありありと感じます」。「第二の人生を楽しむネットワークづくり」として、昨年四月から始めた「還暦同窓会プラン」は好評だという。
思永中に集まった十一人には、認知症の親の介護に悩んだり、現在の収入に不安を感じていたりするメンバーもいる。「離婚歴あり」が三人、独身を貫いてきたのが二人。それぞれが、自分の道をここまで歩いてきた。
「最近は、同窓会の誘いの電話が長いかかってこんと、寂しうなる」。実家の食堂の名前から、「カッパ」と言うあだ名で呼ばれている水谷福市(五六)。水谷は五年前、三十年近く続けてきた水商売をやめ、介護施設で働いている。青果会社に勤務する楠城佳子(五六)は「忘れかけたあのころを思い出しつつ、今に出会える」と話す。
彼らが思永中に入学したのは六二年。翌二月、北九州市が発足した。高度成長の真っただ中。江利チエミが「北九州音頭」で、こう歌った時代だ。
「空に立つ虹 湧くけむり」
四十年余りたち、市立中学校の生徒数は約七万四千人から二万五千人に。思永中生徒数も、六二年の二千四百二十人を最高に、今は六百十七人に減った。
松下が言う。「同窓生には病気で死んだやつもおるし、行方不明のやつも多い。結局、同窓会に出てこれるうちは、まだなんとかなっとる、という事やろうね。同窓会の魅力?例えば会社は『今』やろ。サラリーマンにとって、同い年の人間はライバルやもんね。同窓生は昔はライバルかもしれんけど、今はどうでもいいもんな」
(敬称略、文・立花珠樹、写真・有吉叔裕、グラフィックス・長谷部久乃)

―作家 明川哲也―苦しいとき顔が見たくなる

ドリアン助川という名前でバンドをやっていたころ、「同窓会」という歌をつくったことがあるんです。小学生のころ住んでいた芦屋の街が、阪神大震災ですごい被害に遭った。僕は地震の3日後、リュック2つに水や物資を詰めて芦屋に入ったんです。建物が崩れ、道がうねり、自販機が倒れている中、一軒一軒知り合いの家を訪ねたけれど、誰にもあえなかった。
そのとき、無性に同窓生の顔が思い出されて、歌ができたんですよ。「うまくいってるやつも うまくいってないやつも一度だけの同窓会をやろうよ」
たぶん困難とか逆境に遭ったときに、同窓生の顔が見たくなるんですね。団塊の世代で同窓会がブームなら、それは彼らが難題を山ほど抱えていて、ふっとみんなの顔が見たくなっているんじゃないでしょうか。
でも、70歳まで働く時代。昔を懐かしむだけじゃなく、新しい思いでを作る同窓会が始まるんじゃないかな。例えば、僕らが50歳になるときには、「ルーワンダ地雷撤去ツアー」みたいな究極の同窓会を開くグループが現れるかもしれませんね。

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